2005年04月15日

【Fizz】 サークル論

『豆腐屋』のトムさんのサークル論を受けて、ししゃもさんまでサークルの事を書いたからには、かつて黒いカリスマ・無冠の帝王と呼ばれ、様々な伝説を残した僕も書いてみなければと心躍る。
僕の主観的サークルの現・状況は、【花見】 春の人間模様の通りですね。一応参考までに。


トムさんはサークル衰退のげんいん(←変換したくない)を、「輪の中心軸となりうるカリスマの不在」とした。つまり人と人とのつながりを保てる人間がいなくなったからこそ、今のサークルがバラバラになったのと。確かに、カリスマと呼ばれた人の多くが、誰にでも愛され、多くの輪を一つにできる力は持っていました、それは激しく同意する。
だけど、今のサークルにカリスマは居ない訳でもない。人と人の輪を持てるアツイ後輩を、僕は何人も知っている。ただ、その多くが就職活動中の4年であり、2年・3年の中にも居ない訳でもないが、彼らが繋ぐべき輪の数はあまりにも多く、実際に手の施しようのないのが現状、機能が低下するのも必然的である。
それに対して、ししゃもさんが「カリスマがいなくても、一人一人が手を取り合って大きな‘輪’‘円’を作る・・・‘輪’としては弱いものかもしれないけれど、これだけでも現状とはおそらくだいぶ変わってくると思います。」とコメントを加える。この中にこれからの大きなヒントが出ていると僕は思った。


正直な話今のサークルは、サークルについて話し合う機会とかが全く無い。「そうゆうのは幹部の仕事じゃん」って事が普通の言葉になっている。いつからそうなったのか知らないけど、幹部とそれ以外の壁ができ始め、お役所仕事みたいに事務的な部分が肥大化してきた。思い出せば全盛期の頃は、お互い出きる事は違うけど、それぞれが自分のやるべき事を了解しあって、それぞれが出きる事を頑張っていたはずだ。
今は本当に誰もが何をするにも他人任せで、自発的な活動意思が全く感じられない。「自分はサークルの一員であり、自分たちがサークルそのものである。」という考え方すらない。政治的に言えば、昔は投票率も立候補者数も多かったのに、いまや誰も選挙に行かずに立候補する奴も居ない、正当性なき民主主義。政治体制としては完全に終わってる、独裁者が居た方がまだマシとすら思える。
そんな現状を変えるには、生き残ったカリスマ達の地道な活動しか無い。だれかは「もう4年だから」と言うけれど、まだ4年だ時間はタップリ残されている。次の合宿で2・3年生と一緒にこれからのサークルについて話したらいかが?...と僕は提案する。
今の4年が2年だった2年前の春を思い出せるなら、タロサ達とこれからのサークルについて色々と話しあった夜の事を思い出してもらいたい。当時のタロサは4年だ、あの時に受けた感動は、今度は自分たちが伝える番じゃないのだろうか?


それよりも僕が感じてるのは、カリスマが居なくなった事でもなく、サークルの軸となるべくの価値観の喪失の方が大きいのではないかと思う。
サークルって何で入るのって聞けば、大多数が「友達が欲しいから」って答えるはずだ。実際に友達が欲しくってこのサークルに飛び込んでの出会い、色々とゴタゴタもあったけどね。皆が友達を大切にしてくれるアツイ連中だから、卒業する時に感じまくった、「パセフィック☆」
今までは「お友達サークル」ってコンセプトでやってきたけれど、それを変えるのもどうするのも自由。現段階で言える事は、サークルのカラーが全く見えず、「こんな所にいる意味あるの?」って思えてしまう。まぁ、あんまり仲良くないんだったら、飲みサークルに先祖がえりするのも良いと思う。


最期にまとめると、いまのサークルはつまらないのは、多くの人がサークルと正面から向かい合っていないから。それぞれが「何でサークルに入ったのか」と「サークルで何がしたいのか」を考えて、お互いにぶつけあうしかないと思う。
ここでしか手に入らない大切なものも沢山ある。それを手にするか、みすみす逃すのも自分次第。どうするかは卒業した僕等じゃない、まだサークルに籍を置くぜいいん(←何故か変換できない)だ。
トムさん、素晴らしい意見を持っているのだから、それを率直にぶつけてみると良い。それでも何も変わらないのならば、その時に初めてそこまで堕ちたのだと諦めればいい。


「主役は君だ!」


健闘を祈る...




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posted by Gandhara at 00:53 | コメント(0) | トラックバック(0) | サークル
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