2006年02月16日

【文鳥】 順子が落ちました

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■ 参照記事
http://gandhara.seesaa.net/article/4168877.html

まだ暖かい春の頃に、『豆腐屋』(現・a cake of tofu)のトム氏に「順子」命名してもらったシナモン文鳥のメス、帰ってきたらつぼ巣の中で冷たくなっておりました。まだ白文鳥を失った悲しみからも癒されていないのに...

原因は細かいことまで解らないけど、ピーターの方がぴんぴんしているので、メス固有の卵詰まりあたりだろう。とはいえ、冬っていうのは本当に恐ろしいものだ。もっとも、インドネシアやベトナム辺りにかけてすむ鳥を、狭い鳥籠に押し込んで飼っているのだから、人間のエゴの犠牲なんだけど...

皮肉なものに、鳥は落ちる一方だが、僕を初めとして家族全員が何故か健康だったりする今年の冬。去年は誰もが立て続けにインフルエンザにやられたものだが、今年は風邪するも引いていない。鳥たちが僕等の身代わりになってくれたのだと、そう信じて明日もこなさなきゃいけないな...
posted by Gandhara at 03:47 | コメント(2) | トラックバック(0) | 文鳥日誌
この記事へのコメント
気づいたら愛鳥の名を「順子」としてくれてたんですね。きっと長渕さんも遠くは薩州から喜んでいるはずです。

関係ないですが、僕も昨冬に愛犬を喪いました。拾ってきてから正確な犬齢は分からないけど、おそらく13才ぐらいかと。まあ、人間でいったらオッサンもいいとこでしたが、さすがに惜別の瞬間は今でも忘れることが出来ないッス。今までの思い出が走馬灯のごとく頭を駆け巡るという、小説の断片のような思いを実感しました。

最近、うさぎをサッカーボールのように蹴飛ばして死に至らしめるという人道理非な事件がNEWSで放映されていました。共存保持が現代人の命題なのに本末転倒も甚だしいこの一件には、何物にも代えがたい憤りを覚えています。同じ動物の命の尊さを知らずに、彼らを踏み台にして力を誇示する人間などに生きる資格などありゃしません。既存事実を悔いても仕方ありませんが、愛鳥や愛犬の死、動物虐待の報道などをその契機として、僕等はペットや身近な動物たちから、様々なことを学び与えられることを再度認識しなくちゃいけませんね。

あら、なんか凄くまともなコメントになっちゃいました(笑)
やもめとなってしまいましたが、残されたピーターさんに今後とも深い愛情を注いでやってください。

順子、ご冥福お祈りします。どうぞ、安らかに…。
Posted by とむ at 2006年02月17日 17:33
orzです。

たかが一年でしかない時を過ごした鳥でさえこの凹みよう、ましてや13年間も家族として共にすごした犬を失った悲しみを察します。やはり言葉には出来ない感情も生まれますが、それでも今この瞬間にも新しい命の芽吹きが聞こえる。生きるって事はそういう事ではないでしょうか?

うさぎをサッカーボールですか。まぁ子供と言うものは大人には理解できないくらいに残酷ですから、小さな命を奪うことなども何もためらいもなくやってしまう事もあるんですけど。ソースをみると...ねぇ、本当に、こういう奴は腹を切って氏ぬべきである。
やっぱりモラルが失ってしまった中に、日常の中から死という物が遠くなってしまったからではないだろうか。誰もが死を遠ざけるように生きる限り、その意味について何も答えを出すこともできない。かといって、死を介した倫理教育のためにペットの犠牲を強いる事も間違っていると思いますが、まぁペットも大切にできない人間が、人に優しくできるとも思えません。経験の数だけ、人は成長を続けるのですね。

正直な話、ピーターの今後は先行き不明です。
生活に余裕がなくなりつつあるのに、ペットを飼う事は果たして正しい事なのだろうかと。このまま管理不足で殺してしまうんらば、いっその事...悩みは続く毎日です。
Posted by Gandhara at 2006年02月20日 00:54
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